みんな知りませんよねこんな絵のジャンルなんて!とイヤミったらしく言いたい時もある。こういう時とか。
ちなみに法的なところは無視して話してます。
数値を選んだり入れたりするだけで絵を描かせるジャンルはある

こういう絵。
フラクタルアートといって、「ある図形を変形させながら配置する」「ある処理を永久的に繰り返す」ことで生まれる絵がある。
こういう無限階段的な絵もあれば、ちょっと写真っぽい絵も作れる。
Chaoticaというソフトウェアが出力している絵なのだけど、
公式サイトのギャラリーを見ると平面的な絵から奥行きの感じる絵まで、同じソフトウェアなのに人によって全く違う印象の絵を作ることができていることがわかる。

これらは何十種類もある変形タイプを選び、変形度合いの数値を変更し、矢印のところで配置などを変えて、カラーマップで色をつけて……というような作業をして作ることができる。要は手でカリカリと描くこともなく精密画のような構図が作れてしまう。
フラクタルを楽しんでいる人たちはこういった作業で絵を作っては、時にそのパラメータさえ配布したり、誰かのパラメータを改造したりして遊んでいる。
自分みたいに画集を作って出すことや4K壁紙に対応したサイズを有料で出すようにしたりという商用利用もソフトウェアによってはOKになっているし、こういった絵を作っている人はFractalistとも呼べるような専門アーティストとしてネット上で活動している。
ペンや筆を一本も手に取っていないのに。
AIイラストには不憫に思うことだってある
なんというか率直に、
「できた絵が手描き絵とそっくりである」ことで絵描きの人から排除されていて、「できた絵がジェネレーティブアートっぽくない」ということでジェネレーティブアートとしても馴染めていない
…という印象がある。
ほぼ偏見なんだけどフラクタルの認知度が低すぎて、AIイラストを手描きのものと同一視するしかない人が大多数なように見える。打って出たんだからジェネレーティブでしょ、と淡々と処理できる人がいないというか、淡々と処理できない人だけが騒いでいるのかもしれない。
個人的にはプログラマが学習AIを作ってテキトーに絵を学習させて出力させてみるまではプログラミングとして当たり前のことだと思っているし、
公開されたAIで遊ぶ人がいるのも当然だし、「学習に使った絵には権利がかかっていたので、出力された絵を商用としてはいけない」というルールがあるのも当然だと思う。
悪いのは権利が曖昧なAI絵で稼ごうという個人や企業(フォロワーを稼いでアカウントを売買するような間接的なのも含めて)…というのはもう分かりきってるからいいとして、(こういう時に法律って分かりやすく区切ってくれるからいいよね)
仮にも黙ってAI絵をリリースし続ける人やAI絵の破綻だけ手描きで修正して出すような人は咎められるべきではないと思う。
フラクタルアートだってプログラマや過去の人々が作った計算式を組み合わせているだけのことで、少なくとも自分はコンピュータが内部でどんな計算をしているのかなんて1ミリも知らない。有名なJuliaでさえもただ単に見栄えのいい図を作る変形だとしか認識していない。味気ない絵だと思ったら手描きでキラキラしたものを足したりフィルタをかけることもあった。
たぶん、AI使いの人だって好みの絵柄が出てきたとしてもその絵柄が本来どこの誰の絵から来たものなのかあずかり知ることなく使っているし、絵の見栄えを損なうような都合の悪いところは直してから出したいというのも分からなくはない。
単純に、新しくて綺麗なものを出してみたいだけだと思う。
1枚の絵に込められた無限に近い数
AI絵が広まった時には正直ヘドが出る気持ちだったけど、これの何が嫌だったかと考えてみると「手描きという技能を探している時にAI絵を持ってこられること」だったと気づいた。
絵を描かない人には分からないかもしれないが、ここの線は鉛筆だとか混色ブラシだとか、どこにグラデーションがかかっているか、加算や乗算を使ったかどうか、レイヤが分かれているかどうかなど色んなところを見る。ブラシの違いは言わずもがな、加算乗算は特有の変色を起こすし、レイヤを分けると一般的にジャギって見えるし、描き手がした選択は絵にそっくりそのまま出る。
手描きの絵を探す時とはある絵描きが行った選択の全てを探すことでもある。AI絵にもキーワードの選択というものがあるが、数が足りない。
個人的なところでは引いた線を400回ぶん巻き戻しても20分程度の巻き戻りにしかならないので1枚の絵で10000本以上の線は引かれていることになるし、人によってはレイヤは50枚も100枚もなる。かけたフィルタの数とそこに指定できるパラメータの数、表現のために読んだ本の数、スケッチした回数、影響をうけた人数、そのほかすべてのものを掛け算して出たものが手描きの絵には込められている。
AIがたとえ破綻なく綺麗な絵を出力できるようになったとしてもその莫大なバックグラウンドがなければ「絵描きの作品」とは認識できないし、出力するように指示した人やプログラミングした人もまた「絵描き」にはならない。
AI絵師という呼び名にも「AI/絵師」ではなく「AI絵/師」と心の中で区切って呼んでいるけれど、正直AI技師とかAIオペレーターのほうがまだしっくりくる。
綺麗なものを綺麗なまま見ていたい
正直なところ綺麗な絵を見た時に「この人はどんな技法で描いたのだろう」とワクワクしに見に行ったらAIでした、というダメージはかなり大きい。
これはAI絵がだめなのではなく単純に絵が出てくる構造が上記のようにできあがっていないからなので
AIイラストをやる人全員に「これは手描きのものと分別すべき」という戒めがあったとは限らないし逆に「手描きの絵そっくりじゃん」と感動した人のほうが多いはずだし、