これまでのあらすじ2024-2025

22 Mar 2025

やっと・・・・・・・・・やっと一段落ついた、のかもしれない?


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2024GW:長野県旅行

 2023冬から転職活動続いてたけど、あらかた決まってきたあたりで「引っ越したら生活慣れるのが大変で旅行に行く気にならないだろうから、最後に行っておこう」と思って行くことにした。
高橋一生さんが雑誌の企画で旅したという松本市でブラックジャック展が巻き起こっていたので、本当に行くしかない偶然がおれの背中を強く押したのだ。

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 美術館以外にその雑誌で載っていたところに行けるだけ行って「ここに座ってたのか…そうか・・・・・・・」みたいなのを何件も認識した。正直、聖地巡礼のどこが楽しいのか?と思っていたけれど、こうして同じ視点に立つことで感じられるリアリティもある…そして、ともすればそれはご本人を生で観るよりも素朴で親近感のあるリアルだ。

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 四柱神社というのが近くにあって「こうなるよう差し向けたのはあなたではないと思うけど、ドラマやってくれてありがとうございました」と参拝してきた。そうしたらおみくじの番号が21番だった。もうだめだ・・・・
 長野、都市部のすぐうしろにデカデカと山があってすごいし、空気もきれいだし、いいとこだな。

2024春:転職&移住に成功

 実家をブッ飛んでちょっと離れたところに引っ越した。
 かねてより仕事がハードだと謎に体がフリーズしてしまうバグに悩まされていて、原因がもう「実家というトラウマの想起しやすい現場にいることで、家では休むどころか疲れに畳み掛けてくる」(※学校とかで受けたダメージが多いので家庭そのものがトラウマの原因ではない)のではないか? となった。

 とはいえ仕事+就活+転居準備+精神的事象に理解がない身内 との戦いであったため、やっていることは孤軍奮闘そのもので、仕事の合間には常に調べものをし休みの日はどこかしら出かけてばかりだった。
 ハロワや面接担当の人のほうが現実的な話をして物事を進展させてくれるので、活動そのものは苦よりも救いのほうが多かった。予定地周辺のお店でご飯を食べて帰ったり、引っ越したらこういうの部屋に置きたいな〜と思うものを探したりしてメンタル補充を図りつつやっていた。

 結果として新居は特に異変や近隣トラブルもなく、職場に変な人もいない、いい結果になったと思う。誰も応援してくれないんで俺が応援してやろ!!(爆買いの音)としていたら旅行費とかと比べもんにならない額のお金が決壊するように流れ出ていったけど、絵に描いたような極貧生活というわけでもなく慎ましい生活ができている。
 あとインド人が部屋に敷いてそうな柄の絨毯を敷くという夢が叶いました。嬉しい。

2024梅雨〜初冬

 引っ越してすぐはやはりホームシック的なところからさっそく帰省したりしていたけれど、身内と会話するごとに引越し前の心境やトラウマ部分に住んでる自分がよみがえってきてしまったのか、秋頃から帰りたくないし電話もLINEもしたくないサヨウナラ……となってしまい、いよいよセルフ音信不通になった。
死んだ後に行ってみたかったところに霊体のまま飛んでいって、なんならそこで生活ごっこをしてみる、そんな気分になってる。

 やっぱり新居の旅行先ホテル感が抜けず、お盆休みも遠出する気なんて全然なれなかったから、引越し前に行っといてよかったな。

2024末:外科医の世話になる

 23年秋頃から始まったブラック・ジャック熱もいよいよ過ぎ去ってきたなぁ…と思ったころに料理中に指先をスライスしかけて外科に突撃&縫合することになった。外科医漫画ビッグウェーブのフィナーレが外科受診ってそんなことある?

Tomarunjaneezojaneezo

 指先の感覚がそこだけ初めから無かったかのように消えてしまう不気味さ、お尻に抗生剤を打たれまくった事、指先といえどグァーと呻きたくなるくらいの痛みは創作の参考になりました。ありがとうございました。


2025:人生キャッシュクリア

 就活時の履歴書や質疑応答のおかげで自分が今までどんな人間をしてきたかというのが言語化されるわけだけど、そういうのや新しい環境で過ごしたりしていると「自分は色々持っているつもりだったけど、実は何も持っていない望み薄なやつだった」とじわじわ虚無を感じるようになった。

 他人からすれば色々持っているほうなのかもしれないが、総数でいえば喪失するアクシデントのほうが多かったり、もしかすると…単にちょっとしか喪失していないのに精神的ケアが甘かったせいでさも重大な喪失だと勘違いしている哀れなヤツなのかも……。
なので、ネットで活動をしている人や新聞とかに載ってる笑顔の写真を恨めしいか羨ましいか分からない目で見てしまうことが増えた。その人の境遇やら環境なんかを良いふうに邪推しながら。
ネットは成功したものを上げる場所だから浸かりすぎるとメンタル逝くっていわれてるよね

 あまりにも危ない兆候なので、その虚を埋め直せるような時間の振り方や意欲の向けかたをしたほうがいいな……となって、今までやってきた趣味を心の中で少しずつ分別していった。
ふれている時に回避しようのないストレスを感じるものや、終えた後に「時間をムダにした」と思ってしまうもの、「何かを培っている感」がないものは意欲の射程外へずれこんでいった。
 大抵はスマホゲームなのだけど、ソシャゲだけでなくタスク性のないカジュアルゲームも消えた。PCゲームはそもそもコンピュータをつける時間が減ってやらない気味になってるけど、ドッシリしたタイトルは時間があればやりたい。
映像や音楽などは合間合間に楽しめているのでそのまま。

絵やコンピュータや手芸なんかは作る意欲が湧いた時にまあまあブランクを感じずに取り組みなおせるので、今までこのくらいまで培ってきててよかったなと思った。
ただ取り組める時間がめちゃくちゃ減ったので有意義な時間の使い方をしたい……

 最初はただでさえ生身のほうが虚無ってるうえに「他の人と同じく楽しんでいたものを手放した」ってことで虚無を重ねがけすることになってしんどかったけど、自分を支えてくれそうなものがそのぶん身近にせまってきてて、今年くらいからは恨んだり羨んだりするのがちょっとずつ減ってきた。
お勉強といえそうなものを差し込んで生身の充足をはかりたいけど勉強ってふつうにめんどいよな(はなほじ)

image ※プライバシー保護のために民家を抹消しただけであり、本当は民家に囲まれている駐車場です(雪は本物)(星も本物)

 引っ越したら何もかも忘れたようにスッキリと生活できるかな♪とか思っていたらそこそこの頻度で昔のことを思い出したり被害妄想が始まってジメジメしてしまうけれど、思い出さなければ調停はできないし、少なくとも今はジメっとしつつも調停をはかれるほどの精神環境ができている。
以前は調停できるほど状態が整っていなかったので「思い出さない」という状態が続き、それでも腐臭がもれてくるように気分や据わりの悪さだけがあったりして……
 つまるところ、ネガティブに陥る頻度は変わってないor以前より増えたとしても、それは風通しがよくて救いのある負であって、取り組もうとすれば何かしらの修復力が得られそうな、良いネガティブだと思う。

 自分は負の感情がないと創作行為の推進力が得られないタイプで、それっていきいきとした人生にしたいなら生きる気力が極力ないほうがいいって矛盾と、幸福や安寧を求めすぎるのは良くないっていう謎の修羅になってるわけだけど、不幸や苦痛が味方になるって考えてみたら結構お得だなと思ったりもした。